滋賀県大津市の市街地の中を東海道が通っていますが、義仲寺はその東海道沿いにあります。
平安時代末期、平家の横暴ぶりにストップをかけたのは源頼朝と後白河法皇でした。が、平家が没落してプロセスの中で、武力の上で大きな役割を果たしたのが源義経であり、そして木曽義仲(源義仲)でした。
木曽義仲は、以仁王(もちひとおう;後白河法皇の皇子)の令旨(りょうじ)を受けて、平家追討を実行した力強い武士です。信濃国で越後の平家軍を倒した後、北陸方面へ勢力を拡大、その勢いで入都。京の平氏を力尽くで追いやったのです。
しかし、京都に入ってから後白河法皇や貴族に歓迎されたのは束の間でした。礼儀知らずの田舎者であるということや、法王の采配にまで口を出すということもあり、結局、権力者達に疎んじられ、ついには頼朝の命を受けた義経・範経によって滅ぼされてしまいます。
義仲の終焉地は粟津(あわづ)という所。これが今の滋賀県大津市馬場です。
義仲寺はまさしくこの場所にあります。ここには義仲のお墓があります。
それから、時代が下ること約500年、俳聖・松尾芭蕉が、みちのくの旅から畿内に戻り、40代終盤を過ごしたのが、この義仲寺の無名庵でした。
その時の芭蕉の身体はかなり弱っていたらしいのですが、ここで素晴らしい句を世に送り続けます。
芭蕉は、どうして住処としてこのお寺を選んだのでしょうか。それは、木曽義仲を崇拝していたからだと言われています。彼が大坂でなくなった後、亡骸はここまで運ばれ、遺言通り、彼のお墓は義仲のお墓の横に建てられました。
狭い境内ですが、梅、木瓜(ぼけ)、芭蕉(ばしょう)など多くの植物が植えられています。
歴史を感じさせる趣のあるお寺です。大津市の東海道を歩かれる時は、お立ち寄りされることをおすすめします。
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