多岐原神社 ~滝原宮の起源と真奈胡神(まなこのかみ)~

前回、滝原宮についてお話させていただきました。この宮域には伊勢神宮125社のうち5社が存します。

この宮域より、北へ3~4kmほど行った所に多岐原神社(たきはらじんじゃ)があります。この神社は内宮の境外摂社で、れっきとした伊勢神宮125社のうちの一つなのです。

地元の方により「真奈胡さん(まなこさん)」と呼ばれていますが、この神社のご祭神が真奈胡神(まなこのかみ)でいらっしゃることに因(ちな)んでいます。

この神社は滝原宮の起源と深く関係しています。

今から、約2000年前の話。垂仁天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神がご鎮座される場所を求めて、大和(笠邑)から近江、美濃、伊勢などの各地を旅されました。倭姫命が熊野古道伊勢路を南下中、三瀬(みせ;現在のJR三瀬谷駅付近)の集落に差し掛かられた時、宮川(宮川の中流)に進路を阻まれ、大変困っておられました。

その時、近所に住む真奈胡神が、倭姫命がこの川を渡られるのに手を貸しました。窮状を脱せられた倭姫命はその感謝の意を込めて、この地に真奈胡神を祀る神社を建てられました。それが、多岐原神社です。

また、倭姫命は大変この地を気に入られ、ここより約4km南下したあたりの集落(滝原) に天照大御神に鎮座していただけるよう、宮を定めました。これが滝原宮の起源です。


熊野古道伊勢路は、現在の玉城町田丸(三重県度会郡)から熊野三山までのルートです。三瀬は起点の田丸より約30kmぐらいの所にありますが、宮川が流れているため(東海道の大井川がそうであるように)容易に渡ることはできませんでした。

そこで、旅人を小舟で渡す役目を果たしたのが三瀬の渡しです。江戸時代には隆盛を極めましたが、大正時代より衰えました。それでも昭和30年代までは残っていたようです。

熊野古道伊勢路は、再び、渡り切った所(写真手前の川原)から続きます。

この路を100~200mほど行った所、多岐原神社があります。

そして、100mほど行くか行かないかかのところに小さな集落がありますが、そこを通り過ぎ、アスファルト道を南下してすぐの所に、三瀬坂峠(みせざかとうげ)越えの山道の入口が見えます。その地点から、3kmほど行ったところが瀧原宮です

上述したルート、つまり三瀬の渡しの地点から滝原宮までは、熊野古道伊勢路の一部です。ルートが分かりにくかった方は、詳細については下記のHPをごらんください(写真が豊富で、熊野古道の様子が詳しく記されています)

滝原宮は地元の人で知らない人は誰もいませんが、多岐原神社は少し奥まった所にあるので、地元の人でも知らない人が比較的多くおられるようです。

今回は、伊勢神宮125社の一つ、多岐原神社についてお話しました。

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