新宿や池袋は副都心と呼ばれています。50年ほど前になりますが、ここで都市開発が進められたのは都心に集中するオフィスなどの機能を分散化するためでした。
同じように、奈良時代においても平城京での機能を分散化するため、称徳天皇によって副都心計画が進められました。それが由義京(ゆげのみや)です。
由義神社(大阪府八尾市)には、由義宮旧址の碑が建てられています。
もちろんこのあたり一帯のどこかではありましたが、それが実際にどのあたりなのかはよくわかりませんでした。
2016年度、八尾市東弓削町3丁目の発掘調査を行っていた際に、東大寺や興福寺と同じ瓦が発見され、その後、ここが由義寺跡であることが確認されました。
由義寺は、東大寺には及ばないものの七重塔を配した大きなお寺でした。
称徳天皇が、ここにもう一つの都を作りたいと願ったのには理由がありました。非常に深い仲であった怪僧・道鏡の出身地であるからです。
道鏡が宇佐八幡神託事件の後、中央から下野(しもつけ)薬師寺に左遷され、やがて称徳天皇も亡くなります。
このあたりは幻の都となりました。
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