全国の国分寺跡
国分寺(こくぶんじ)は、奈良時代に聖武天皇が仏教の力により国家を護る目的で、全国各地で建てられたお寺です。正しくは、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのう)と言います。
国分寺は、各地で東大寺の代わりをする寺であり、20人の男性僧侶によって運営されていました。
また全国各地で、10人の尼僧によって運営されたお寺が、国分尼寺でした。国分尼寺は、そのほとんどが、国分寺の近くに建てられました。正しくは法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)と言います。
東大寺が総国分寺であるように、法華寺(奈良市)が総国分尼寺でした。
全国には、国分寺跡として指定されているところが少なくありません。そこには、観光スポットとして観光ガイドに載っている所もあります。
私自身、地方を訪れた際、時間があれば国分寺跡は訪れるようにしていますが、経験上、下の5つに分類することができる、と思います。
1)跡地内に後継寺院(現役のお寺)があり、比較的、当時の様子が残されている所
2)跡地内に後継寺院(現役のお寺)があるが、跡地全体が公園として整備されている所
3)跡地横に後継寺院(現役のお寺)があるが、跡地全体が空き地になっている所
4)礎石などが残り、跡地として看板などだけが建てられている所
5)推定地はあるが、実際どこにあったのかよくわからない所
1)跡地内に後継寺院(現役のお寺)があり、比較的、当時の様子が残されている所
例えば、備中国分寺跡、信濃国分寺跡
2)跡地内に後継寺院(現役のお寺)があるが、跡地全体が公園として整備されている所
例えば、安芸国分寺跡、紀州国分寺跡
3)跡地横に後継寺院(現役のお寺)があるが、跡地全体が空き地になっている所
4)礎石などが残り、跡地として看板などだけが建てられている所
例えば、河内国分寺跡
1)や2)の国分寺跡は十分に観光スポットです。が、国分寺の意味がわかっていると、3)や4)なども興味深いと思うのは私だけでしょうか。
今日は、国分寺跡の話でした。
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