全国の大きな神社に参いりますと、たまに官幣大社や国幣大社などの名がついている神社に出くわすことがあります。
この官幣大社や国幣大社という言葉、これはどういうことを表わしているのでしょうか。
それは社格です。神社の格付けです。
7世紀頃、中国の政治制度が導入され、日本も国家としての体裁を整えていく中、政府にその存在や役割などを認められた神社が官社です。官社の制度は天武天皇と持統天皇の御代、畿内を中心に整備されて全国に広がっていきました。
平安時代になると、官社はその重要性に応じて大社と小社に分けられました。そして、そのそれぞれが官幣社と国幣社に分けられました。つまり、官社は基本的に官幣大社、官幣小社、国幣大社、国幣小社に分類されたのです。この四つの他に、特別な扱いを受けることのできる明神大社(みょうじんたいしゃ)も設けられました。
平安中期以降になると律令制度が大きく変わり、その影響を受けて社格の制度にも変化が現れるようになりました。京や大和などの中央では、国家にとってきわめて重要な二十二の神社が「二十二社」として定められ、また、地方では一宮、総社などの神社が成立、一宮、二宮、三宮と序列をなす「一宮制」が一種の社格を表わすようになりました。
時代は大きく後になりますが、社格という制度が大きく見直されるようになったのは明治時代です。明治元年には神祇官(じんぎかん)が復活、神仏分離の方向がはっきりと打ち出されるようになりました(神仏判然令)。
また、神社は、国家の定める所により、自然や自然との調和を重んじる従来的な在り方を重視する場所ではなくなり、国家を尊ぶ公的な機関として位置づけられるようになります。そして、このような流れの中、神社の序列が重視されるようになりました。
まず、すべての神社が官社と諸社にわけられました。
官社は、官幣社と国幣社に分けられ、さらにそれぞれが大社、中社、小社と分類されました。つまり、官社は官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社と、天皇や国家に対して重要な役割を果たした人物などを祀る特別官幣社に分類されたのです。
それに対して諸社は、府県が統括する府社や県社、郷や村が統括する郷社や村社、またそれ以外の無格社に分類されました。
この時代の神社は、諸社はもちろんのこと、官社でも国家の特別な庇護がない限り、神社経営は厳しいものとなっていきました。神仏判然令によって、苦しい立場に立たされたのは、お寺関係者だけではなく、神社関係者もそうだったのです。
1945年は敗戦の年ですが、GHQの指示(=神道指令)により、社格制度は廃止されました。
今、全国では8万ほど社があるとされていますが、平等性と独立性が重視され、現在に至っています。
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