湊川神社 ~この地は楠木正成の最期の大舞台~

百万ドルの夜景で知られる港町・神戸。

六甲アイランド ホテルプラザ神戸からの夜景

歌にもよく表れ、関西以外の地域に住む人々からは、旅行で訪れて見たい人気のスポットです。

湊川神社は、神戸繁華街の中心である三ノ宮や元町の西隣に位置しています。

主祭神は楠木正成です。ご存知の方も多いと思いますが、楠木正成は足利尊氏と共に後醍醐天皇のために戦った河内出身の下級武士(悪党と呼ばれた)です。北条氏打倒後は後醍醐天皇の新しい政治が始まりましたが、政権奪取に尽力した武士への恩賞などは少なすぎたため、彼らは次々と後醍醐天皇から離れていきました。足利尊氏もその一人でした。

そんな中、最後の最期まで後醍醐天皇に忠誠を誓ったのが、楠木正成です。

後醍醐天皇に裏切られたと考えた尊氏は九州で勢力を挽回し、京都に攻め上ろうとします。洛中(京都市内)を空けて比叡山にこもるという作戦、つまりゲリラ戦法での戦いを提案した正成の主張は、後醍醐天皇や取り巻きの貴族によって却下。そして討死に覚悟(注)で足利尊氏との決戦に臨みました。それが今の神戸、湊川です(湊川の戦い)。

(注)足利正成軍700~900、足利尊氏軍15000と言われています。最後は、弟の正季(まさすえ)と刺し違えて自刃しました。

楠木正成の命を奪ったのは足利尊氏でしたが、それを本当に惜しんだのも尊氏でした。彼は、正成と戦う前に「後醍醐天皇から離れ、自分と共に武士の世の中を作ろう」と何度も彼を説得したからです。尊氏は、武士としての生き方や戦い方など正成を尊崇の念で見ていたわけです。

私は、湊川神社には三回ほど訪れていますが、スキッとした清涼感のような雰囲気を感じることができます。また、宝物館など見るべきものもたくさんあります。

正成に関する話は、南河内の神社やお寺を中心につきませんので、また、お話しをしてまいりたいと思います。

<楠木正成年表>(生年は不詳)

1331年:後醍醐天皇が笠置山(京都)に入る。天皇の見た夢のお告げにより、楠木正成が参集することとなる。
1331年:赤坂城での戦い。幕府兵100万人を相手に500人で奮戦。集団自決と見せかけて、逃亡に成功。
1332年:後醍醐天皇が隠岐に流される。が、正成は赤坂城を奪い返す。
1333年:千早城で3か月の籠城(千早城の戦い)。幕府軍は大量の兵士を送るが、正成の巧みな作戦により落城させることができず。後醍醐天皇が隠岐から脱出。建武の新政が始まり、正成は河内と摂津の国司となる。
1335年:後醍醐天皇と足利尊氏と決裂。正成は畿内にとどまる。
1336年:九州から攻め上がった尊氏軍に、湊川(神戸)にて滅ぼされる(弟・正季と自刃)。

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