元善光寺 ~善光寺は大阪にあった!~

善光寺は長野県における有数の観光スポットで、毎年600万人ほどの観光客が訪れます。

善光寺と言えば、ご本尊の一光三尊式阿弥陀如来。一光三尊式如来は、光背が両脇侍の菩薩と同じものという珍しい形式のものです。

この仏様は「日本最古の御仏」と呼ばれているぐらい古いものですが、善光寺の言い伝えによりますと日本に渡ってから100年ほど彷徨った後に、善光寺に来られたのだとか。

では、この仏様。来日されてから、どこにおられたのでしょうか。

そんな謎を解く鍵となっているお寺が、大阪府八尾市にある元善光寺です。

大阪府八尾市にある元善光寺

日本で最も古い仏様は、奈良県にある向原寺に祀られていたという話はよく聞く話です。

仏教伝来当初は、その受け入れを巡り賛成派と反対派が対立していました。この頃、流行病がなかなか収まらないため、反対派は仏教のせいだとし、このお寺の仏像を亡きものにしようと考えました。

そこで、彼らは炉で溶かそうとしたのですが、特殊な金属できていたため溶かすことができませんでした。結局、大阪(難波)堀江の地に埋めてしまったのです。

その後、聖徳太子がこの仏様をお救いしようと考えたのですが、仏様が「私に縁の深い者が必ずやってくるので、そのままにしておくように」と聖徳太子に告げました。

やがて、信州から本田善光という人が、大阪の地にやってきます。堀江のある池のそばを通りがかった時、急に背中が重くなりました。その仏様が善光の背中に乗り移られたのです。

善光は、ありがたい仏様と思い、信州に連れて帰ろうとします。信州に戻る途中、日が暮れてきたので泊めてもらおうと思い立ち寄ったのが、高野街道のある農家(現在の八尾市の元善光寺あたり)でした。

この仏様を見た農家の人は感動。「ぜひこの地で祀らせてほしい」と善光に願いでたのでした。

迷った善光でしたが、翌朝、何とこの仏様には分身ができていたのです。つまり、同じものが二体というわけです。

元の仏様を信州に持ち帰り、その分身をその地で祀るようになりました。

信州に戻った善行は、再び、その農家を訪れることになったのですが、その時、杖として突いてきた木をその地にさしました。「仏様が気持ちよく留まれるのなら、ぜひ芽がでますよう、仏様がそれを拒まれるのなら、枯れてしまうよう」と念じたのです。

その木は、今では立派に大木となっています。

元善光寺の大木
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