大阪府堺市にある方違神社(かたたがいじんじゃ)は、大山古墳(仁徳天皇陵)から比較的近い所にあります。
ここの境内は決して広くないのですが、全国から多くの人が訪れる神社なのです。
方違(かたたがい)というのは、平安時代以降ずっと人々の間で行われている風習のひとつです。外出する際に、その方角の吉凶を占ってその方角が悪ければ、一旦その方角とは異なる方角へ出かけ、そこから目的地へ向かったのでした。つまり、行きたい方角を違えることから、方違(かたたがい)と呼ぶわけです
方位学は方角の吉凶を占う学問ですが、今でもそれを信じる人は少なくありません(私自身、よく方位を見る方ですが)。
ただ、悪い方角にいくにせよ、通勤や通学などは仕方がありませんし、いちいち気にしてしまうと日常生活に支障が出てきます。
しかしながら、引っ越し、新築などの大きなイベント、あるいは旅行など長い距離を伴う移動の場合、それが凶方であった場合、悪影響は強いといわれています。
このような場合、一旦良い方角へ違えてということはできません。ですので、この神社はその凶方に出かけた際の災難を避けるための願をしていただける神社ということで、全国から訪れる参拝客が跡を絶たないわけです。
方違神社の由緒
このあたりは、三国ヶ丘と呼ばれているところです。では、その三国とは、どこの国でしょうか。
それは、摂津、河内、和泉の三国を指し、この神社が位置する場所がそれら三国の境界であるがゆえに、方位の悪影響を受けない清らかな地という考え方がなされるようになりました。
奈良時代には、行基が布施屋を設けたことで、人馬が往来するための重要な地点となりました。
平安時代には、熊野古道の通過点であったため、熊野詣の人々がここで旅の安全祈願をするためここへ立ち寄ったといいます。
以後、方角による災難除けの神様を祀る神社として、朝廷や武家などから篤く崇敬されてきました(仁徳天皇・孝徳天皇・空海・平清盛・後鳥羽天皇・徳川家康など)。
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