八尾御坊・大信寺 ~お寺には見えないモダンなお堂~

以前お話ししましたように、本願寺派(西本願寺)のお寺には(お寺には見えない)風変わりなお堂をがある寺院があります。

その一方、真宗大谷派(東本願寺)のお寺にはそのような(つまり一見お寺には見えない)お堂があるお寺はあまり見られないのですが、本日ご紹介する八尾市にある大信寺はそのようなお寺です。

大信寺山門
大信寺山門

浄土真宗が西と東に分かれた背景には、16世紀末期の天下取りが関係しており、直接の原因となったのは徳川家康でした。

八尾市には三つの御坊があります。本願寺派(西本願寺)の久宝寺御坊萱振御坊、真宗大谷派(東本願寺)の八尾御坊(大信寺)です。

1606年、本願寺の東西分立(1602年)を受けて、久宝寺村の森本七郎兵衛貞治を含む七人は東本願寺を支持、村を出て少し東の土地に八尾御坊を建立しました。そして寺内町が形成され発展していきました。

1788年、京都の本山が火事で焼けた際に、大信寺が十年間本山の代わりを務めました。

1869(明治2)年、廃藩置県によりこの地は河内県となりました。大信寺横(現在は境内)にその役所が建てられました(同年、河内県は堺県と合併、役所は廃止されました)。

河内県庁跡
河内県庁跡

1953(昭和28)年、本堂が突如くずれ全面改修が必要となったため、今のモダンな建物が本堂として建てられました。

境内には梅林があり、近くの商店街では毎月11日と27日にお逮夜市(おたいやいち)が開かれます。

お寺
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