大阪府(特に南部)と奈良県(特に北部)に住む方なら、二上山は比較的親近感のある山ではないでしょうか。
奈良県側の麓の葛城市には、観音菩薩の生まれ変わりとされる中将姫ゆかりのお寺當麻寺があります。
このお寺に何度も参り、阿弥陀信仰や観音信仰が強い人なら、この山を見ると、そこには阿弥陀様があるいは観音菩薩様が見守ってくれているという気持ちになる人も少なくないのでは、と思います。
私の場合 有料の南阪奈道路で羽曳野市から葛城市に抜けていく場合、この二上山を間近に見ることになるのですが、阿弥陀様や観音菩薩様の存在を感じ、感極まることが多いわけです。
二上山をよく知っている人は、それが極楽浄土の象徴、究極の安心立命をもたらしてくれる山々であることを感覚的に理解しているか、と思います。
さて、我々は日常を生きていく中で、充実感の得られない日々を送ることは珍しくないことだと思います。クリエイティブな仕事に就いている人はさほど多くありませんし、仮にそのような仕事についていたとしても、組織に属していれば制約されることも多いからです。
ですので、「何人もすでに救われている、だから安心立命の境地で生きていなさい」という阿弥陀の教えをつい忘れて、日々、不安と葛藤の中で生きている人が実に多いのではないかと思います。
かくいう私もその一人なのですが、数日前、すごい(ある意味恥ずかしい)ことに気づいたのです。実は、私の職場から、そして通勤路(特に帰宅道)において、いつも二上山が見えていたのです。今の職場は本当に長くなりますが、かなり遠い場所にあるということもあり、見ていてもその存在にきづかなったのです。
私の言いたかったことは、いつも阿弥陀様や観音様が見守ってくれているということ。そのことに自分自身が気づかなかったという愚かさ。
人生における迷妄というのは、このような愚かさを言うのだと思います。
皆さんの周りで、いつもありながら、その存在に気づかないものって何でしょうか。
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