観心寺 ~南朝の趣が漂う名刹~

大阪府河内長野市にある観心寺は、701年(文武2年)役行者が修行の場として創建したお寺です。

大阪・奈良・和歌山の人にとっては梅の名所としてもよく知られ、3月には多くの観光客が訪れます。

秘仏である如意輪観音像(4月17日・18日は開扉)は、神呪寺(かんのうじ;兵庫県西宮市)と室生寺(奈良県宇陀市)のものと並んで、三大如意輪観音像の一つとして知られています。

実は、この如意観音像はこのお寺を再訪した空海がによって刻まれ、ご本尊になったと言われています。その時、観心寺という名前に改められました。

本堂(大阪府では最古の国宝)

空海が初めて訪れたのは、808年(大同3年)です。天の北斗七星を勧請し、境内に七星如意輪曼荼羅を作りました。7つの星塚によって構成されていますが、境内に星塚があるのは全国でもこのお寺だけとなっています。

さて、このように見るべきものがたくさんあるお寺ですが、南朝の趣を色濃く漂わせるお寺でもあります(土地柄と言えばそうなんですが)。

それは本堂の右側のエリアによく表れていると思います。

右側エリアの奥に階段があり、それを登りきると、第97代後村上天皇(第96代後醍醐天皇の皇子)の陵があります(ある方から言わせると、千早城とよく似た雰囲気を持つといいます)。

また、その階段の登り口右横には「楠木正成の首塚」があります。湊川の戦いで敗れた後、その首はこのお寺の中院に送られてきたわけですが、それを葬ってあるのがここです。長男の正行はこのお寺で自害を果たそうとしますが、正行の母(正成夫人)にそれを止められ、思いとどまりました。

楠木正成の首塚

本堂からすぐ右側にある檜皮葺の塔は「建掛塔(たてかけのとう)」と呼ばれています(内陣に大日如来が安置されています)。どうして「たてかけ」という名前がついているのでしょうか。これは、北条政権を倒し、建武新政が始まった際、後醍醐天皇の御代になったことを祝うために、楠木正成が建立しようとしたためです。後に正成は足利尊氏に討たれてしまったために、そのまま未完成の塔として残ってしまったというわけです(当初は三重塔の予定)。

ちなみに、この塔は仏塔古寺十八存霊場の第十三番札所となっています。以前、この霊場巡りをしていた際には、なぜこの塔は初層しかないのか、わかりませんでした。

建掛塔
後村上天皇の旧跡

3月の梅は見事です(関西花のお寺25番札所でもあります)。ぜひ、訪れていただきたいお寺かと思います。

河内長野駅から車で観心寺に向かう際、その右側に「古民家カフェ へのへの」があります。スパイスカレーが美味しかったです。限定ランチもおすすめです。古民家カフェにしては珍しくお酒が充実しているので、近所の方もよく来られているようです。

お寺
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