空海が40歳を過ぎた頃、彼は中国で授かった新しい教え(真言密教)を布教するための場所を探していました。
高野の麓に来た時、狩場明神(かりばみょうじん)と丹生明神(にうみょうじん)が現れ「あなた(空海)が求めている所を、この二匹の犬に案内させましょう」と言われました。そして、その犬について行ったところ、ある目印(注)を見つけ、そこが探していた所であることを確信したのです。つまり、今の高野山です。
(注)目印とは空海が唐にいた時、そこから投げた三鈷杵(さんこしょ)のことを指しています。
今は高野山にお参りをする場合、ほとんどの人が車を使います。車をお持ちでない方は南海高野線とケーブルカーで行かれるでしょう。ですが、歩いて登る道もあります。それが町石道(ちょういしみち)です。
スタート地点は九度山町にある慈尊院から、途中、紀伊国一之宮のひとつである丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)を経て、高野山壇上伽藍(だんじょうがらん)の大門まで、登り約22kmの距離です。
この道は一町(109m)ごとに道標が建てられ、終点まで180基の道標が続くことになります。
今から約30年前、このあたりにどこからとなく白い犬が現れ、町石道を歩いて登る参拝者を高野山にまで導いていくようになりました。
初めは登山者について行っているだけかと思われたのですが、ある参拝者によると、その犬は常に少し先を行き、その参拝者が立ち止まるとその犬も立ち止まる、そしてその参拝者が歩き出すとその犬も再び歩き出すなど、常に参拝者のペースをつかみながら案内したのです。
当時の慈尊院の住職は犬嫌いだったのですが、この白い犬を丁重に扱い、お寺で飼うことにしました。この犬は、お寺の鐘の音が好きだったので「ゴンちゃん」と呼ばれるようになりました。
この犬は2002年6月5日(空海のお母さんの命日)に亡くなるまで、町石道を歩いて登る多くの参拝者のガイドを果たしました。
今、お寺にはゴンちゃんの二代目がいるそうです。
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