今日、ご紹介するお寺は京都府亀岡市の郊外にある谷性寺です。明智光秀のお墓があるお寺です。
近江の坂本、丹波の亀岡や福知山では、よい政治を行い領民から慕われた賢君でした。教養があり、理論派であり、武人としても優れていました。
そんな光秀が、なぜ、主君信長を討ったのか。
俗によく言われる怨恨説、野望説、黒幕説(黒幕が秀吉、あるいは足利義昭、イエズス会など)、近年では懇意であった長宗我部元親を守るために、信長の四国攻めを阻んだという四国説が有力な説になっいます。
本当のところは、誰にもわかりません(個人的には、少しイエズス会説を支持したいところですが)。
ただ、根も葉もない私の直感ですが、亀岡の土地が関係しているように思うのです。
亀岡という所は、京都市街地からは比較的近い所にありますが(JR山陰本線を利用すると、嵐山から約10分)、ひとつ山を越えただけで、京都市街地とまったく違った風景が広がります。
出雲大神宮、稗田神社、亀岡城跡(大本教本部)が有名ですが、町全体が神様の御神気にあふれているかんじなのです。
第六天魔王と呼ばれた信長。斬新な経済政策など政治家として優れた点もあったのかもしれませんが、神仏をないがしろにする信長が、このまま世の中を支配し続けたなら、日本は危うい、と神様が思ったように感じられるのです。
つまり、信長の暴走を食い止めるために、光秀が動かされたのではないか、ということです。
繰り返しますが、これは根も葉もない私の直感です。
比叡山の焼き討ちの首謀者は、光秀でした(後世のドラマでは、かなり美化されていますが)。この時光秀は、神仏にはあまり帰依していなかったと聞きます。
それが亀岡に移り、不動明王を深く信仰するようになりました。谷性寺には、光秀の念持仏(=不動明王)が収められています。
本能寺の変の数日前、信長は高野山焼き討ちの計画を立てていました。この時、不動明王を信仰していた光秀が、高野山焼き討ちを阻止するために(比叡山焼き討ちという過ちを犯させないためにも)突発的に行動したとも考えられます。
いずれにせよ、神仏の力があったのではと。
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