坂越は、赤穂市街地から東方の集落で、伊勢の的矢(まとや)と並ぶ牡蠣の名産地です。赤穂観光と言えば赤穂城址ですが、この牡蠣を目当てに海の駅・しおさい市場に足を運ぶ人も少なくありません。
また、十月の第二日曜日に開催される坂越の船祭りは、瀬戸内三大船祭り(大阪の天神祭、広島・宮島の管絃祭)の一つであり、この時期には多くの観光客が訪れます。
この船祭りは、この集落の小高い丘に建つ古社である大避神社に関係するお祭りです。神輿船を中心に様々な和船が10数艘、大規模な船行列をなして御旅所である湾口の生島までを往復します。
この大避神社の主祭神が秦河勝です。生島に秦河勝の墓がありますが、生島そのものが聖地とされているので上陸することはできません。
秦河勝は秦氏のリーダー的存在で、聖徳太子を陰ながら支えた古代史における大物でした。
聖徳太子死後の皇極3年(644年)、この坂越に移り住み、千種川流域の開拓を進めました。そして80余歳で亡くなります。地元の人々がその霊を祀ったのが当社の始まりだと言われています。
少し不思議なのが、主祭神が人物である点です。ある人物が亡くなった後に神として祀られる習慣が根付いたのは室町時代以降です(吉田神道の影響)。
神社の主祭神は、一般的に公表されているもの以外の神様が祀られていることはよくあります。では、ここはどの神様がお祀りされているのでしょうか。
一つの考え方ですが、ユダヤのダビデ王を祀っているという説が有力です。と言いますのも、元々秦氏はキリスト教に改宗したユダヤ人であったとも言われています。また、ダビデ王を漢訳すると「大闢(おおさけ)」という字になるのですが、大避神社の「避」は「闢」から変化した可能性が強いと言われています。
京都の太秦(うずまさ)は、古代、秦氏が住みついた場所ですが、ここにある独立系の小さな神社が大酒神社(おおさけじんじゃ)です。かつては、大避神社、大闢神社という名前でした。この近くにはダビデの紋章を記している建造物などもあります。また、この神社に関係する牛祭り(広隆寺で行われ、三大奇祭の一つ)はかなり奇妙な祭りで、ミトラ神信仰の名残ともとらえられています。
大避神社は、本当に凛とした空気が流れ、心地よい神社なのですが、一般的な神社の気と異なる宇宙的な空気を感じさせる場所でもあるのです。
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