イチローの本当の凄さ ~一瞬一瞬がゾーン~

「土の時代」から「風の時代」へ。もっと大きな周期で言えば「うお座」から「水瓶座」の時代へ。

他者から良い評価を得られる(認められる)ために生きる時代から、自分自身が本当に好きなことをやる時代(また、それが報われるであろう時代)へのチェンジです。

それを可能にするキーワードは「自分軸で生きる」ということ。

他者からの評価のために生きるのではなく、自分自身が本当にやりたいことをするために生きる。これが重要な時代となってきました。

他者評価とは無縁な「自分軸で生きる」というのは、どういうことなのかを理解していただくべく、元プロ野球選手であるイチローの生き様について(彼に対する評論図書である野村克也氏が著した『イチローの功と罪』の書評という形で)書かせていただきます。

~私が思うイチローの本当の偉大さ~

野球をやっている者、野球をやったことがある者には、絶対に一読をおすすめしたいのがプロ野球界の名将野村克也著『イチローの功と罪』である。

イチローが野球界に残した凄さは疑いようのない事実である。野球にまったく興味のない者から、日本を代表するプロ野球選手までもがその偉業をたたえている。いろいろな意味で、プロ野球界のみならず、いろいろ人々に影響を与えたのは疑いようのない事実である。イチロー自身、その授与を三度断ったとされる国民栄誉賞、そういうこと自体、野球を超えて一般の人々に優れた影響を与えたことの証左であるのは間違いがない。

ただ、このようなイチローに批判の目を向けたものがいる。それが野球界の名将、野村克也氏である。野村克也氏は、もちろん、イチローの偉大な業績や野球界への貢献などにきちんと触れた上で、イチローには自己中心的な面があること、チームプレーよりも個人プレーを優先する点について厳しく非難した(具体的には一本でも多くヒットを打ちたいがために、四球を選ばずボールくさい球をファールしてしまうなど)。そして、その他にもチームプレーに反する行為を度々することに触れて、そういう意味では野球選手とは良くないとはっきり断罪している。

野球は、他の集団競技と比べて個人競技の要素が含まれる。例えば、各ポジションの特殊性がはっきりとしていること、攻撃は基本的には個人対戦の積み重ねであるなど。とは言え、やはり立派な集団競技だ。個々の力はすごくなくても、傑出したチームワークで甲子園をどんどん勝ち進んでいくチームを見ていると、彼ら自身も自分たちにはこんな力があったのかと思ってしまうぐらい、チームの力というのは明らかに存在する。はやり、野球ではチームプレーが求められる以上、イチローファンには申し訳ないが、イチロー選手は「自分優先主義」(注1)という野村克也氏の指摘は正しいといわざるを得ない。

注1)この言葉はブログ著者(のりちゃん)によるもので、野村氏自身は利己的という言葉を使っている。

しかしだ。しかしである。私は野村氏が批判の根拠とした「自分優先主義」、これこそがイチローそのものの偉大さである、と私は声を大きくして言いたい。それは野球選手としてではなく、我々と同様に日常を生きる人間としての偉大さである。どういうことか。

彼は数多くの偉大な記録を打ち立てたが、彼が本当にこだわったのは通算安打数(生涯であれ、年間であれ)である。彼はあるインタビューでこのよう事を述べた。「打率には興味ありません。打てば上がるが打てなければ下がる、安定したものではないのです。まして打率争いということになると、相手あってのことですから。自分のことなのに相手の調子に左右されるのも変でしょ」と。

つまり、安定しないものや、相手より上か下かというそんな考えにはまったく興味がない、と言わんばかりである。それに続けて「(通算)安打数は違う。増えることはあっても減ることはないのですから。自分が打てば一つずつ積みあがっていくのです」と。このインタビューから、彼がどのような心境で野球に向き合っていたかがわかる。野球は「相手との勝ち負けではない。自分との戦いだ。自分のやるべきことに集中できるかいなかだ」ということだ。

これに関して「打席でヒットを打てるか打てないかはバッテリーとの勝負である、ゆえにMLBのような大舞台で打席を迎えるということは、その一つずつが大勝負なのではないか」と指摘する向きもいるかと思う。しかし、イチローは相手投手のその日の調子などを見極め、一打席ごとに立ち位置などを微妙に変えていただけではなく、結果を残していた時でさえ最高の打撃スタイルを確立しようとしフォームの改造にも手をつけた、と聞く。つまり、バッテリーに勝つためではなく、ヒットを積み重ねるために。

イチローにとってバッターボックスに立つということは、バッテリーとの勝負ではなく、バッターとしての最高の在り方を追求する人生の舞台ではなかったのか。

もし、イチローが誰にも知られることのない世界で、あるこだわりのものを作り続ける職人だったなら。世界(周囲)からのどんな評価にも目もくれず、彼は自分の作品を一つずつ黙々とていねいに作り続けていくだろう。そして、その素晴らしい作品の総数はいつぞや世界記録を超える数となる。しかし、そのことは誰にもわからないし、本人も知らない。もし、そのことを知った人がいて彼に伝えたなら、彼はこう答えるだろう。「そうですか。そんなに作りましたか。でも、今はこの一つを仕上げるのに集中するだけです」と。イチローの凄さは、人生そのものがゾーン(注2)なのである。

(注2)ゾーンとは、アスリートが試合の中で心身ともに究極の理想状態にある時間帯のこと。不要な緊張から解放され、自分のすべきことに没入するので、勝負事への執着もなくなる。このような状態においては、本人も想像できないようなパフォーマンス(成績)を残すことが多い。

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