極楽浄土は天国ではない!

浄土宗や浄土真宗のお寺では、極楽浄土(ごくらくじょうど)という言葉をよく耳にします。

人が死んだらどうなるのか。生前に良い行いをした人は天国に行き、生前に悪いことばかりしていた人は地獄に行く。よく聞く話です。

極楽浄土=天国と思いがちなのですが、実はそうではありません。天国以上の所(正確に言うと場所でもない)です。どういうことなのでしょう。

その前に、六道輪廻(ろくどうりんね)についてお話をいたします。

まず、六道とは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界の六つのことを指します。

今、我々が生きているのが人界です。

人が死ぬと、生前の行いによって、死後に行く所(正確に言うと場所ではありません)が異なります。

地獄界は、最も苦しみの強い世界であり、生前人を殺めたりそれと同じくらいの苦しみや痛みを人に与えた人が行く、死後の世界のことです。

餓鬼界は、生前に人を殺すほどひどいことはしていないが、常に強欲でお金に対する執着が強く、自分のことしか考えていない利己的な心を持っていた人が行く所です。飢えと渇きが尋常ではありませんが、この世界で決して満たされることはなく、ガリガリの状態でいなければいけません。

畜生界は、お金に対する執着はさほど強くはなかったが、本能のまま欲望のままに生きてきた人、そして「今さえ楽しければ」と考え、刹那的、快楽主義的な生き方をしてきた人が行く所です。この世界は、自分より強い生き物に食われてしまうという理不尽な体験をしつづけるのです。

修羅界は、自分と他者を比べ、常に他者に勝っていたいと強く願う人が行く所です。自分が他者より勝っている場合は慢心し満足感を覚えますが、他者の方が優れていると思う場合はその他者を認めることができません。戦いの世界に住み続けていますので、死んでも戦いの苦しみから逃れることができないのです。

天界は、生前、良い行いをした人々が行くところです。いわば天国です。

先ほど、死後の世界は場所ではないと記しました。正しくいうと、波動を共有する者たちによって構成される関係空間というべきものです(空間という言葉も良くないのですが)。

死後の世界はなく、地獄界や餓鬼界などは「人の心の状態である」と説く人や仏教学者などもいますが、死後の世界ときちんと理解する上で「人の心の状態である」という捉え方は、ある意味正しいのです。

六道輪廻とは、人界と他の世界を幾度となく、繰り返すことを言います。この世に人として生まれ(人界)、死ぬと他の世界に行き、そこでの修行を終え、そしてまたこの世に生まれてくる。この繰り返しを延々としているのです。

人界と天界(天国)の往復なら、それならよいではないか、という人もおられるかと思いますが、どちらの世界にしてもそれなりの、悩みや苦しみから逃れることはできません。つまり、これらの世界を輪廻している(まわり続ける)限り、本当の意味での幸福は訪れないのです。

この輪廻における苦しみから、極楽浄土です。

ですから、極楽浄土は天国ではありません。もう生まれ変わることが必要のない世界であるわけです。

仏教
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